8月の終わり

2013.09.02 (Mon)
週に一回 ゴミやさんがくる
お店のわきに出しておいて 朝 回収車がもっていく
日本と違うのは 袋では出さない点
大きなプラスティックのBOXに入れておく
中身だけ彼らがもっていき BOXは戻される
ちょうど小学生が中に隠れることのできるくらいの サイズ
動かし易いように 下に車輪が2つ ついている

いつも朝 お店に来ると まずそのBOXをお店の中に運び入れる
ガラガラガラと引きずって
遅くなると 近所の人や通行人がどんどん ごみをいれていき 
公衆のゴミ箱となってしまう
そんなものを1週間 お店には置きたくない

数日前 回収後 お店にしまおうとしたが Boxがどこにも見当たらない
???
時々 ホームレスが自分の荷物運びのカートにしてしまう
そこらへんのホームレスに聞くが見当たらない

そのまま ぶらぶらしていると2ブロックぐらい離れたところに
妙にしっかりした ダンボールハウス
実際はビニールのシートで作ってある 雨もしのげる
それはホームレスが作った 路上テント

でも 普段見掛けるものより しっかりした作り
妙に 四角くてシートが弛んでない
たぶん good job と言った感じ

気になって近くに行ってみる 
黒い足がテントからでている
まぁ それはOK
でも 高さが微妙にごみBOXのレベル

シートを少し開け 覗きこむと中に黒人が3人 寝ている
そして 骨組みは...
やっぱり ゴミBOX...
ナンバーをチェック  うちの住所の印刷

”フ ザ ケ ル ナ ”
なんて思わずに 彼らが起きた後 スマイルを浮かべ ”返して下さい ”
と いうのが ”オ ト ナ のマナー”

でも無理 たぶんこれは血 だと思う
残念だけど 両親を見れば すぐわかる 

ごみBoxをすぐに掴んで 引きずり出してみる
イマイチ 何かが引っ掛かっている
見ると丁寧にひもで結んである
ポケットから フローリスト用ナイフを取り出し
全部 カットして再び 引きずり出す

ゴミ箱 無事回収
と同時に テントが崩壊

中で寝ていたホームレス3人がびっくりして出てきた
クレイジーと騒ぎたてながら 怒っている
でも 残念ながら寝起きの彼ら イマイチ 迫力不足

ここは オ ト ナ の対応 近くで商売もしているし 敵は作りたくない
”洗って返せ と言いたいところだけど 寝起きだからいいや
でも今度 やったら ブリーチの入った水でテントごと洗い流すよ″ 
プラス スマイル でOK

朝から疲れるなぁ なんてゴミ箱を引きづりながら歩いていると
近くで見ていたCafeのオーナーが ”朝から元気だねぇ”なんて笑っていた

確かに 元気だと思う  悪くない
........................................ 

先日 年配の黒人の女性がお店にいらして 注文をくれた
2メートルのドライの木に ガラスのテラリウムをかけて欲しいとの事
それを ある方にデリバリー

003_convert_20130902064739.jpg

配達後 写真を撮って メールにて彼女に送る 
木の形もよく ガラスもインドからのもので悪くない

ところが 数日後 彼女がお店にいらして
どうしても ガラスを吊るすのに使ったロープが嫌だということ
配達前に 確認しましたよね と説明すると突然 お店の中で泣き出してしまった

うーん... 困った

周りのお客さんも 何事?? と言った感じ
ただただ ロープが ロープが” と泣きじゃくっている
そして ”怖”い ”と

最初に来た時はとても礼儀正しい人に見えた
だから きっと何か理由があるんだと思った

彼女の顔をじっと見ていたら もしかしたら?という考えが浮かんだ
試しに
’あなたの気持は分かります ビリーホリデーはとても好きな歌い手です
 特に strange fruit は印象に残っています”と言ってみた

すると 彼女は少し驚いて 泣きやんで 落ち着きだした

確かビリーホリデーがその歌を歌ったのは 50年代だと思う たぶん
南部の黒人が ポプラの木にロープでつり下げられ
白人にリンチされ 殺されていく歌だった

それがわかると 彼女に何かしなくては という気持ちになった
近く 届け先にもう一度 お伺いしてデザインを変えます と彼女と約束

彼女は安心したように丁寧にまた挨拶をして帰って行った

帰り際に strange fruitはおたくの国でも知っている人は多いの?と聞いてきた

”歌自体はとても有名です  ただどこまで歌詞が理解されているかは知りません”と答えると
”それだけでもいい” と言って帰って行かれた

数日前 新聞でキング牧師の記事や彼の行ったスピーチの事が書かれていた
ちょうど 彼が’I have a dream'の演説を行ってから 50年 経過した とのことだった
1963年 8月28日 

ここに住んで4年ちょっと
強く差別を感じることは ほとんどない
される側にも ましてや 無意識にする側にもなりたくない

差別は自分の首を そして身体を 締め続けることだと思う












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